麻布書房
AZABU PUBLISHING
部屋は思っていたより天井が高く、清掃され、広々としている。
入口から、右に台所、左に浴室があり、その奥にリビングと寝室が続いている。ヒーターの設備も整っている。床は古い寄木張りで、ところどころ傷ついていたが、手入れをすれば艶が出るだろうとジェイコブは判断した。
置き去りの家具には驚かされた。しなやかで濃い色合いの革のソファ。堅牢で年季の入ったオークのダイニングテーブル。どの部屋の窓にもシンプルな幾何学模様のカーテンが掛けられている。寝室には真鍮縁の寝台フレーム。近所のヴィンテージショップなら、かなりの値がつくはず。ここに住んでいた人間は趣味がよく、金もあり、そして突然、どちらも失い、どんな緊急事態から、こんな素敵な家具を捨てさせるのか、ジェイコブには想像もできなかった。
大きな壁際には、頑丈な木製の箪笥が置かれ、引き出しが五段あり、古びた真鍮の取っ手が緑青を帯びている。箪笥の上に段ボールを積み終えると、ジェイコブは部屋を一周した。棚を確かめ、戸棚を開け、実際に空間がどうなっているのかを確かめながら。日当たりの確認をした。広めの寝室には、ナイトテーブルの上にクラシックな黒の電話機がある。ダブルハング式の大きな2つの窓は、隣のビルの、レンガの壁に面していたが、晴れた日は、その壁に光が反射して、寝室の奥まで斜めに差し込んでくるはず。そしいて電線が影をつくり、それは少しの自然であり――優雅に感じられるだろう。
次に収納の確認。学生の習慣で、役に立ちそうなものを系統的に把握しておく。箪笥の引き出しを上から順番に引いた。
空/空/空/空。
五段目の引き出しを引いた。びくともしなかった。踏ん張ってゆっくり引くと少し動いた。内側で何かがつかえている。手を奥へ差し込んで手首を振った――指先が紙に触れた。そっと取り出すと、変色した茶封筒だった。それをテーブルに置いた。外でいきなり、大型トラックが通り過ぎるとき、気持ちが動揺した。自分がためらっていることに気づいた。祖母のクローゼットの床にひざまずき、ビスケットの缶の蓋をこじ開ける前のあのためらいと同じ感覚だった。だが、ためらいとも言い切れない何かだった。開けるべきか迷っているのではなく、開ける前の一瞬を惜しんでいるような感覚。まだ何も知らない最後の一瞬。ジェイコブはそっと封筒を開いた。中にはトレーシングペーパーで包まれた、スクエアの古い写真が四枚入っていた。
一枚目を手に取った瞬間、驚きと同時に手が振るえた。写真館で撮られたもので、中央では、背が高くエレガントな黒人女性が革の椅子に腰かけ、眼鏡をかけた小さな白人の髭面の男を子供のように抱いている。男は彼女の肩に頭を預け、目を閉じ、全身を委ねている。女性はカメラを真っすぐ見ている。微笑んではいないが、その落ち着き払った威厳は、ジェイコブが何か大切な場面に踏み込んでしまったかのように感じさせた。二人の服装から1930年代と見当をつけた。ニューヨークの厳然とした人種隔離の時代に、この写真――親密で、隠すことなく、正式な構図で撮られた写真――異例どころではなかったはず。穏やかな男の顔から目が離せなかった。平和とは少し違う表情。何かに抗うことをひとときやめた人間の顔に見える。背景には、斬新なライトの配置、陳腐なギリシャ風の柱の絵が描かれている。
次に、二枚目を見た。部屋は紛れもなく日本式だった――畳の間。古典的な花模様が描かれた襖。その前に白人の男が正装し、磨かれた皮靴を履き、足を組み、木製の椅子に座っている。外交官のような威儀は感じられるが、日本の家屋では、どんな部屋に入るにも足袋か裸足が最低限の礼儀のはず。ジェイコブは祖母から、そのように教えられている。もしかすると、外国人が靴のまま畳に上がるのは不作法ではないかもしれない。男の表情に傲慢さが感じられず、傲慢さよりもっと奇妙なもの――落ち着いた、謝罪のない、意図的な間違いかもしれない。ジェイコブはこの写真に、何か体に近い感触を覚えた。うまく言葉にできないが、この意味を、彼は腑の中のどこかで直感した。つまり、ルールを知っている人間だけが、ルールを破る意味を知っている――ということを。
三枚目は、マンハッタンのどこかのビルの屋上だった。三人の男が端に立ち、はるか下の通りを見下ろしている。地上の人々の様子は遠すぎて見えない。屋上の三人のひとりは帽子をかぶり、もうひとりは風に向けてコートの襟を立て、三人目はカメラに背を向け、カメラには映らない何かを遠くに見ている。その姿勢に、ジェイコブは言葉にならない何かを感じた。待つ姿勢、あるいは、もう後戻りできない決断を下したばかり――そのように思えた。人がある場所から別の場所へ移行するとき、その途中の一瞬の表情がある。特に遠方の三人目の男の背中はそれだった。
四枚目。ターバンを巻いた髭面の浅黒い肌の男性――スーツ姿のシク教徒が、ニカブで顔を覆い、目だけを見せたムスリムの女性の右肩にそっと手を置いている。背後にエンパイア・ステート・ビルが浮かぶ――本物か書割か、判然としない。この二人を結ぶものが何なのか、この写真が撮られた状況が何なのか、何一つ説明がない――あるわけがない。二人はカメラ目線ではなく、互いを見ていない。ともにフレームの外の何かを見ている。その外が、同じ方向なのか違う方向なのか、写真からは読み取れない。
ジェイコブは四枚の異色の写真をテーブルに並べ、長い間見つめた。部屋の午後の光が、オークのテーブルを横切って動いた。最初に着いたとき斜めに差し込んでいた光が、今は低くなり、テーブルの端に掛かるか掛からないかの角度になっていた。やがてそれも消えてしまう。
ジェイコブはビスケットの缶の写真と重ねた。知らない人々。行ったことのない場所。誰かの過去を握りしめているあの感覚のことを。これらは学んできた絵画とは違う。と彼は思った。絵画は美術でしかない。しかし写真には撮影者と被写体があり、誰かの時間が封じ込めている。人がカメラの前に立ち、静止した瞬間が。その瞬間の後に何が起きたかはもう終わったこと――その瞬間そのものは取り戻せない。捨てることはできない。しかし自分のものにもできない。思うことや、論じることが、できない、とジェイコブは思った。この写真は今、何にも属さず、宙吊りになっていると。